歴史

2009年9月29日 (火)

恐竜に会う

幕張で開かれていた恐竜博2009、最終日にようやく行けた。

学生時代は歴史が好きだったので、その流れで恐竜にも興味がある。

恐竜となると有史以前のことで考古学、博物学の分野になるが、地球の昔を探るということでは歴史とも言える。

数年前にも別の主催のものを見たことがあるが、毎年のように新しい発見があるようで初めて見る名前がいくつもあった。

Photo
このマメンキサウルスもその一つ。

大きすぎて写真の枠に入りきらない。

Photo_2 スピノサウルス

これも初めてお目にかかった。

   
発見された場所が違うと僅かの骨の違いから新種として名前が付けられるみたいで、学者がちゃんと調べているのだから間違いないのだろうが、素人としては何処が違うのか、ほんとにこんな姿だったのかと思うこともある。

でも、人類の歴史が長く見ても600万年なのに対して、恐竜は1億年以上繁栄していたのだから環境に対応して種族が増えていったのかも知れない。
Photo_3

ご存じ 暴君 ティランノサウルス

   
  

思っていたより会場が広くて足のくたびれた一日だった。

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2009年8月10日 (月)

白馬とイギリスの空

09 白馬


イギリスの画家ジョージ・スタッブスの「川辺の馬の親子」の一部を模写。

馬の親子とあるように、原画には他に母馬と仔馬が二組、計4頭いる。
白馬は雄馬らしい。

もっと大きく全体を模写しようと思って、取りあえず練習のつもりで1頭を描いたが、それきりになっている。

それにしても、イギリスの中世、近世の絵はどうして空が暗く描かれているのだろう。殆ど明るい青空で描かれた絵を見た記憶がない。
この元画(と言ってもプリントされたものだが)も空はもっと暗い。
イギリスの天気はそんなに曇り空が多いのだろうか。

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2009年3月24日 (火)

儲けものの映画

先日天気の良い日、町中へ出て映画を見た。

「ワルキューレ」

本当はクリント・イーストウッドの「チェンジリング」を見るつもりだったが、上映時刻を見たらレイトショウしかやっていないのでこちらにしたのである。

まずトム・クルーズがドイツ将校に扮するのがちょっと引っかかるし、ヒトラー暗殺未遂の実話を素にしているので結末は分かっている話だ。それをハリウッドが作ったのでは内容的にどうかなと言う気がした。
しかし、評は悪くないようだったので見ることにした。

ところが替わりに見たにしてはなかなか良かった。

結末の分かっている暗殺失敗へ向かっての進行がサスペンスフルで見る者を緊張させる。
ヒトラーは何度もあった暗殺の試みを僅かなところでくぐり抜けており、ホントに運(悪運?)の強い男とかいわれているが、これはドイツ国民の運命でもあったのだろう。

飛行機好きとして嬉しかったのは、本物ではないかも知れぬがドイツ軍の戦闘機や輸送機を飛ばしていることである。(エンドロールに P40 PIROT とあった)
撮りようによっては出さなくてもよい場面もあるが、実機を飛ばしているので大戦中の雰囲気、緊張感に満ちた映画になったと思う。

まさに拾いものの映画。 
アッキィの評価は ○×4

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2007年2月27日 (火)

ぶらり、御成街道(Ⅱ)

月曜日、天気が良かったので自転車で出かけた。走り出したら北風が冷たい。でも、さすが冬の冷たさはもう無い。
御成街道、前回の続きを辿る。

P2260138  金光院の先約200メートル、坂を下がって上がったところ。わずかだが旧道が残っている。
今の本道は手前で分かれて八街に向かう。6,7年前に左手に信号が出来て車はそこから御成街道にはいるようになった。写真のように10数メートルは街道らしさが残っているがその先は舗装拡幅された道がまっすぐ伸びている。

P2260140 御茶屋御殿への入り口。東金16km 船橋22km とある。ここから約100m入ったところが御殿跡。
P2260141 

御茶屋御殿 案内板

  
P2260143 御茶屋御殿表門脇。 薬研堀と言われる空堀が四角形に残る。

P2260144 御茶屋御殿敷地跡
調査発掘の前はどんな状態だったか知らないが、今は平らな土地。向こう側、北北東側が裏門跡。右の方、東北に当たるところに井戸跡がある。本(東金御成街道)には逆の左隅に井戸跡とした図面が載っている。間違いだろうか。今残る井戸跡は丸く、セメントで固められて内部をのぞけない。形からしてあるいは後年のものかも知れない。

P2260142 裏門跡  すぐ脇に大きな椿が花をつけていた。家康の時代からあったかどうか分からないが、これだけ大きい椿の木は珍しいだろう。
   ○幾百年御茶屋御殿の大椿   秋羅

   

    

 

P2260146 まっすぐな街道  このあたり丘の上、畑の間を通るので街道が出来る限りまっすぐに作られたことが実感できる。街道は上総台地を通るのでいくつもの谷津を横断する。そこだけは急な上り下りがあるので、急勾配を避けてS字状に道を切ってある。

P2260147_1   その谷津の一つを抜けたところ、この道の右側にラジコン機の飛行場がある。ここは昨年5月4日のブログで紹介した。昨日は月曜日なのでやっていないと思っていたが天気がよいので飛ばしている人が居た。夏は気温が高くてラジコン機のエンジンが冷えず、秋から春先がラジコン機のシーズンなのである。

P2260152 P2260153 反対側、左に約150メートルぐらい入ったところにペット霊園。昨年12月、愛猫”グレイ”を葬ったところ。
個々の墓に供えられた花は造花が殆どだが、合同墓には生花もかなりある。
グレイの冥福を祈って御成街道に戻る。

 
P2260154 急で狭い坂道を下がって先へゆくと左に日蓮正宗本住山真光寺
門の内に大欅あり。

 

P2260159 富田分校入口
20年ぐらい前、初めてここを通ったとき標示を見て、大きい千葉市に分校があるのかと驚いたが、この辺り交通の便が悪く千葉のチベットと言われたらしい。
  
   

P2260158 また谷津があり中を鹿島川が流れる。
ここで写生した絵も昨年5月4日のブログに載せた。

川を渡ると長いのぼり坂、その途中右に大きい椎の木。多分これが「椎の古木」と言われる五番目の一里塚

 急な下りと上りがあって、その左に千葉市乳牛育成牧場。
      

P2260160_1 千葉市乳牛育成牧場
牛は外に出ておらず牛舎にぎっちりと並んでいた。覗くと大きな顔が一斉にこちらを見た。

ここから先自転車では帰りが辛い。道も狭く車の往来が以前より激しく危険だ。日を改めて車で走ろう。

実は、リタイアまでの十数年は東金に勤務したので金光院から先は毎日通った道である。勿論御成街道ということは知っていたが、詳しい歴史を知って気を付けて見るとまた違ったものが見えてくるようだ。

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2007年2月22日 (木)

ぶらり散歩、御成街道

昨日は天気が良く気持ちのいい日だったので、近くの御成街道を走ってみようと思い立った。

実は前日まで図書館から借りだした「房総の道:東金御成街道」を読んでいた。(本保弘文著、平成3年 聚海書林刊)
千葉に住んで40年になるのに歴史的なことはあまり知らないので、家の近くのことぐらいはと思った。たまたま図書館で見かけて軽い気持ちで借り出したがとても興味深く読んだ。
元々歴史は好きで、大学受験も社会では日本史と世界史と両方選択したくらい。恐らく当時でもこの二つを選択したものは殆ど居なかったろう。最近では受験中心の授業で、歴史は省略されたりして問題になっているが、私には考えられないことだ。
本の興味あるところをメモしておいたので、それを持って近くだけでも辿ってみようと出かけた次第。

本の発行が平成3年だから著者の現地見聞からは17,8年は経っていることだろう。だから内容とは変わってしまったところもあるだろうが、それはそれ。
近くだから何度も通ったことがあるが殆どは車だったし、歴史的なことを思い出しながら見たことはなかった。自転車なら途中停車は思いのまま、メモとデジカメを持って走り出した。

御成街道は家康が東金で鷹狩りをするについて、佐倉藩主、土井利勝が慶長18年(1613年)、船橋から東金までを三日三晩で造営したと言われている。実際には十日ぐらい掛かったと見られるが、夜も提灯を高い木に掲げて工事したらしく、提灯塚という名前も残っていたそうだ。
詳しくは下の説明板をどうぞ。写真を拡大したら読めると思うが。
街道には船橋の成田街道分岐点から始まって、途中七つの一里塚があったそうだ。
まずは自転車で約20分、若松町の総武線踏切近く、3番目の一里塚に向かった。

P2210134 焼塚
写真は船橋方向に向いている。左側の小高い雑木林がそうらしい。今は塚の変わりに携帯電話の中継塔が立っている。

  
P2210135提灯塚
右側の小高いところがそうらしいが、今は公園。
このあたり、切り通しのようでいかにも街道らしい感じ。公園の手前と向こうは池。    
  

P221013
御成街道説明板
このあたり、次の古い民家の長屋門が残っていて一番街道らしい雰囲気の場所。   
  

P2210138 昔の金親村
三つの長屋門が残る。

   

P2210141 金光院山門
金親町のはずれで左に入ったところ。

この先が家康が船橋御殿の次に宿泊する御茶屋御殿になるが、それが取り壊されたとき裏門を移築したそうだ。

   
   

P2210143 金光院には家康が一泊していて、家康が褒めたお手掛けの桜というのがあったそうだが今はない。
紅白の梅が咲いていた。

   
以前に来たことがあるが、今回はゆっくり境内を回ったので句碑が四つばかりあることに気が付いた。と言うことで秋羅も一句。

○春日差権現縁金光院(ハルヒザシゴンゲンユカリコンコウイン)   秋羅
 俳句はやわらかい文学だから漢字の多いのは嫌いだが、たまには漢字だけもいいかなと。(本当は 権現縁の金光院 とすべきか)
これから先、御茶屋御殿を経て富田町の椎の古木一里塚になるが、後日天気の良いとき走ってみるつもり。

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